母と食べたスシローランチ|失われゆく時間と、まだ続く奇跡

|介護日記

今日は、予定のないお休みだった。
ただの「空いた日」だったはずなのに、終わってみれば胸の奥が静かに熱くなるような一日になった。

昨日、認知症の母が口腔外科で歯を抜いた。 その消毒のために病院へ向かい、処置が終わった瞬間、 陽ざしが母の横顔に落ちて、ふいに思い出した。 発症する前――母が楽しそうに回転寿司を眺めていた姿を。

その思い出が背中をそっと押して、ひさしぶりに母をスシローへ連れて行くことにした。 あの頃の延長にあるはずの場所へ。

でも、レーンの前に座った母は、もうあの頃の母ではなかった。

落ち着いて座っていることが難しく、皿を手にしても目的がわからない。 私が湯吞を取りに少し席を立った、ほんの数分のあいだに、 テーブルのお寿司は形を失い、ぐちゃぐちゃに崩れていた。

「どうしてこうなってしまうんだろう」 そんな思いが胸を締めつけた。 でも同時に、母がそこに座っていて、 私の隣で“何かを食べようとしている”その姿が、涙が出るほど愛おしく思えた。

失われていくものばかりを見つめれば、心は簡単に折れてしまう。 でも、まだ届く範囲に母がいてくれるという奇跡のような現実が、 今日の私をそっと支えていた。

サーモンのパフェを前にしたとき、母はその色をじっと見つめていた。 理解しているのかはわからない。 でも、ゆっくりと箸を伸ばした指先が、かつての母と同じ形をしていて、 一瞬だけ時間が巻き戻ったように感じた。

スシローのサーモン海鮮パフェ
サーモンの色をじっと見つめていた母の横顔を、たぶん忘れない。

オニオンスライスのサーモン寿司を口に入れたとき、 母は小さく頷いた。 それが味への反応なのか、ただの無意識の動きなのか、 もう確かめる方法はない。 それでも、その小さな頷きは、 わたしの胸の真ん中で大切な宝石のように光った。

スシローのオニオンサーモン寿司
小さな頷きに救われた。ほんとうに、それだけで救われた。

介護にはきれいごとなんて一つもない。 思い通りにならないことばかりで、心がこぼれ落ちそうな日もある。 でも、 「今日も一緒に、ご飯を食べられた」 そのたった一つの事実だけで、すべての苦労が報われる瞬間がある。

未来を考えると、不安は尽きない。 でも―― 「今日という一日」は、たしかにここにあった。

母がわたしの目の前にいて、 わたしが母を見つめて、 二人で同じテーブルを囲んだ。 たったそれだけのことが、こんなにも心を震わせるなんて思わなかった。

**この時間は、もう二度と戻ってこない。 だからこそ、今日をちゃんと抱きしめて生きていきたい。**